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デザイン批評
充電生活

充電生活の始まりのはじまり。
PART:1 身体は放電生活

 

身体は放電生活

 ましてやコンピュータが日常の生活道具になり、携帯電話の登場でモバイルと言う携帯コンピュータが流行るに至って、もはやアレもコレも充電しなきゃ、アレやコレやとコンセントや充電器が机の上や下にころがっている。

 なんかデジタルは身体が疲れる。何で電話やコンピュータを日常的に持ち運ばなければいけないんだ。そして電気器具の僕(シモベ)となって電気を食べさせる毎日。私たちの生活はその逆でエネルギーや知恵や感動が放電していく。そうなんだ、だから今、アウトドアやガーデニング、そして田舎暮らしが流行っているんだ。みんな自分に充電しようとしているんだ。

 と、自分でも思ったわけでございます。ここで2つの方向があります。その一つはデジタルを捨てて、アナログ生活に戻り少しづつ充電する方法。コレは車のバッテリーで言うところの正式な充電。

 もう一つは放電してしまう分を意識して充電を強制的にする方法があります。まあ、簡単に言えば、日常の生活からまだしばらくはデジタルや電気、電話をはずすことは難しいので、その分強制的に充電をすることを考えてみることにする。

つまり、意識して遊ぶってことなんです。流されているうちに忘れちゃったんです。若い頃は遊ぶのが一番、仕事は2番だったのに。まあ、それが大人なのでしょうが。いや、コレは中年になったから気づくことなのかもしれない。

 そういえば、先日「サンマのまんま」に出ていた西郷輝彦にサンマが青春時代に戻りたいでしょうといったら、彼は「その頃は仕事が忙しいまっただ中で戻りたくない」といっていました。

 なるほど、若い時に有名になってしまうのって以外につらいんだと思いました。(人によって価値観が違うだろうけど)しかし、有名にもならず、お金もたくさん入ったワケでもないのに忙しかった私はいつに戻ればいいのだろうか。

 そこで、気づいたんです。私は今からその時期を作るんだと。老人力ならぬ「中春」いや「青春」年齢が遅れているのだろう。と思いたい。

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     VOL.2 第1号 発行所 (仮想)fukuda'sマガジン社 発行人:Hachiano Magonotti     

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