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暴動の様な人々は止まらない。あちらこちらから、暴徒達は現れる。人の間にF1カーが見えるだろうか。フェンスの上には鉄条網がはってあり、そんな簡単に入れないと思うのだがどんどん入ってくる。我々のいるスタンドは高いので下へ降りなきゃそれも難しい。とにかく、したへ降りてメインスタンド方面を目指すことにする。
メインスタンド付近では花火か爆竹がなっているのか?ベルリンの壁を見つける。
これがフェンスと鉄条網だ。引っかかりそうだ。痛そうだ。どうしようと考えるているとコモ氏がこの鉄条もを越えたのだ。奥さんをこちらに残したまま、西側へ言ってしまった。
ビビッた私も壁を越えないと大変なことになる。はぐれてしまうと大変なのだ。泊めてもらっているので・・・。とにかくどうしよう。すると右側の方で壁の下の方から逃げる人々がいるではないか。凄い物で人は火事場の馬鹿力というやつで、こんな網など破ってしまうらしい。我々、コース外難民もここから脱出する事にした。写真は壁の内側にいるコモ氏が撮った。青い服で待っているのが私である。
壁の中から撮影。やっと民衆は中心地の表彰台前に着いた。
やっとの思いで、真ん中にやってきたがそこに何が有るのだ。みんな歓声をあげる「シュミー、シュミー、シュミー。」それはシュマーケルのこと。しかし、そのお立ち台には係員が持ってきた大きな旗 US CITA(出口はあちら)が掲げられた。おいおい、ちゃんと用意してあるのか、暴動を予期して。
SCHUMY THE BEST。(これ、英語だ)この直後あたりは一変。雨が降り出したのだ。
もう一時間早く雨が降っていたら、悲惨なことになっていたかも知れない。なぜなら我々は傘もカッパも持っていなかったから。我々もサーキットの外へでることにしたなぜなら、あたりは森の公園である。モンツァの町まで木の下を歩き続けることも出来るだろう。
しかし、膨大な人々が歩く道々はかったるい、そこでビールを飲みながら雨宿りをする。すると雨は小降りになり、陽も指してきたではないか。それじゃ土産でも買って帰るとしよう。雨が降ったときに記念にフェラーリの傘を買おうかと値段を聞くと9,000リラと言う日本円で7,000円位である。足下を見ているのだ。確かに濡れていた。しかし、30分程でこんなに晴天だ。土産物屋は値引きを始めた。ああ、とても気持ちの良い一日だったなあ。
ということで、TVでも雑誌でも編集されないようなF1グランプリのレポートはいかがでしたでしょう。途中表現が色々と変わり、一体なんのレポートなのかと思ったかも知れませんが、とにかく面白い体験をしました。ヨーロッパで起きたベルリンの壁の崩壊などで脱出シーンを見ましたが、人間その時はやるもんだとつくづく思いましたし、その際に周りの人は鉄条網を持ってくれたり、支えてくれたりしてくれ、日本人はどうだろうかと思います。機会があったらこのイタリアGPは体験してみるといいと思います。
本当のスリの話です。
また最後に、今後見に来る方にご注意をしておきます。我々は入場するまで長い人の流れの中を歩いていました。それでも普通に歩けるのですが、ある場所で流れが留まり渋滞した場所があり、そこは狭くなっているのかと思ったらそこを過ぎるとまた普通に戻りました。
その直後にパンフレットを買おうとコモ氏の奥さんが手提げバッグを見るとジッパーがあいていて、財布をすられました。落としたのでは無くはっきりすれれたとわかります。なぜなら、ビールを買って財布を入れたのを私も見た直後だったからです。まあ、その時に敵のスリも見ていたんでしょうね。
スリの手口は一人ではないんです。団体で前で渋滞を作り後ろの部隊がスリます。それも一人ではなく、自分の後ろ3人くらいはスリと思って良いでしょう。なぜなら、この私も危うくスラれそうになったからです。
それはコース内に乱入して表彰台の前に行って後に戻るためにジリジリ進んでいたときです。スリにとっては絶好の場所です。その時、私はお尻の左側に堅いものが当たるのを感じました。その辺を見ると袋などをもった人はいない。変だなとは思ったのですが、気のせいかなと思い前を向いて歩き始めると、今度はズボンの左ポケットに指の入る様な感触。ここはいつもパンパンになっているので、神経がおしえてくれるのだ。
じろっと見るとそこにはこの場に会わない服装の男。ダークグレーのスーツを着、右手に上着を乗せて、手が見えないでは無いか。テメーだな。男は何食わぬ顔して上着をずらす、その瞬間、今度は右側のポケットに同じ感触が走った。右を見ると今度は白いトレーナーを左手にのせた男である。これだ。女の子が「チカンに会う感じかな」と思いながら、先程の奥さんに大きな声で日本語で「スリがいるぞ、後ろのグレーのスーツの男と白いトレーナーの男だ」と、そしてみんなで後ろをキョロキョロ見るふりして牽制し、その渋滞を抜けた。
彼女はこのイタリアで2回目のスリにあったと言うことで、今回もすられた周辺では異国人が多かったと思い出していた。そりゃそうだ。この興奮の中、レースとは別のこと考えているイタリア人は居ないだろう。
翌日、奥さんが地元モンツァの警察に手続きをしに行ったら、「昨日はたくさん来ましたよ」と警官が言っていたそうで、なんと90件くらいが手続きに来たという。
その中に一人日本人が居てパスポートから全て取られて泣いていたと言う。男か女かわからないが(多分、男だろう)イタリア語も話せず。悲惨だったようだ。以上、長くなりましたが、楽しめたでしょうか。次回はベネチアからの予定です。
第12話へ続く (工事中の場合は、もう少しおまちください)